様々な想い…ジェネレーションギャップを埋めるため…

数年前から認知症を患い、
現在専門の施設に入所している父ですが…
落ち着きが無く、同じ入所者さんへのパワハラなどが出てきた際、
専門医と相談し、高ぶる神経を鎮めるお薬を処方して頂きました。
そのお薬のお陰で、その後は落ち着いて過ごしていたようだったのですが、
最近になり、落ち着きのなさ&パワハラなどが再発し始めたとの連絡を受け
再び専門医を受診した結果、更に強い作用をもたらすお薬を処方して頂く事になりました。
今まで飲んでいたよりも強いお薬という事は、その分、副作用も強く現れてしまうとの事。
今の所それしか方法は無いとは言え
娘として…複雑な心境で…重い気持ちでいます。
まぁ…昭和一桁生まれの戦中派で亭主関白そのものだった父ですからね…。
家庭内でおさまっていたそんな父の我儘が
認知症を患った事で、抑えが利かなくなってしまった…という所でしょうか。

そんな父でも、私の息子…父にとっては孫になるじゅんの事は可愛がってくれました。
それはじゅんに障害がある事が分かった後も変わらなかった。
『じゅんに辛く当たらんでくれよ。障害があっても
それはじゅんのせいじゃないんだから。
大切に育ててくれよ、頼んだよ。』

この父の言葉にどれだけ救われた事か…。
この時、泣き出しそうになった私は
『そんな事、分かってるって』なんてわざと可愛くない言葉を返しました。
照れもあったのかな…素直になれなかったんですね。

そして戦争の悲惨さ&平和の尊さを教えてくれたのも父…そして母です。
私は両親が40代に差し掛かろうとする頃に生まれました。
一般的な親子の年齢差以上に離れていた為、
成長するにつれ、何と言いますか
色んな面で、両親に対してジェネレーションギャップを
感じるようになっていったんです。
そのギャップを少しでも埋める為に、
父や母の戦争体験も含めた思い出話に
付き合うようになっていったんだと思います。
戦中&戦後の混乱期を生き抜いてきた両親ですが、
『俺たちは苦労した』とか『お前達は恵まれている』などという事は
父も母も一切言わなかった……
そういう押し付けが無かったからこそ、
父や母の戦争体験などを、乾いた砂が水を吸い取るように
素直な気持ちで"スッ…"と受け止める事が出来たんだと思います。
戦時中、航空基地に近い所に住んでいた父は、
特攻隊の出撃の見送りを何度か経験したようで
『戦争は二度としちゃいかん。だからこそ、
出撃していった若い人達の事を忘れてはいけない。』
といつも言っていました。

思い出したんですが、
私が学生の頃、一緒に塾に通っていた友達から
『今日は行きたくない。一緒にさぼろうよ』と誘われ、その誘いに乗り
塾に行かず友達と遊んで過ごし、その事が母にバレてしまい
こっぴどく叱られた事があります。
なぜ塾をさぼったのかと問われ『○○ちゃんが一緒に休もうと言ったから』と私が答えると
『それじゃ、あなたは○○ちゃんが人を殺したらあなたも同じく人を殺すの?。
人がするから自分も…お母さんはそういうのが一番嫌い。
自分はどうしたいのかを常に考えなさい!。』

と言われました。

この言葉の裏にはこんな意味も込められていたようなんですね。
戦時中、国民は国から一方的に流される情報を信じるしかなかったし、
またあの頃は例えば、人が赤だと言えば自分は青だと思っていても
同じく"赤"と言わざるを得ない風潮(集団主義)があった…。
戦後様々な真実が報道され、いかに自分達(母)が国や世論に
翻弄されていたのかを実感したようなんですね。
まぁ、母が元々持っている気質も相まっての事でしょうが、
戦争を挟んで価値観などが180度変化し、
戦時中の頃の自分達の置かれていた立場を客観視出来るようになり
その反省点の中から発せられた母の言葉だったようです。

昭和一桁世代の両親…あの戦争は
その後の人生にも何かと影響を及ぼしていたんですね。
ジェネレーションギャップを埋める為であったとしても
両親の体験談を聞き、疑似体験という形で受け止める事が出来た事を
今ではとても感謝しています。
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