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久しぶりのミリタリー&マニアックネタ♪(^m^;)

Category歴史
最近、以前このブログでもご紹介した事のある
海軍軍人【井上成美】をネットで検索していましたら
石原莞爾という陸軍軍人の情報が目に留まりました。
石原莞爾…そう言えば、昔この方の事を聞いた事があるな…
確かあの東条英機と敵対し東條を『東條上等兵』と呼んでいたとか…。
なんて事をおぼろげ乍ら思い出し、
そもそもどんな人物なんだろうと調べてみる事に…。

石原莞爾とは…
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変と
満州国建設を指揮したことで知られる。
1909年陸軍士官学校,18年陸軍大学校卒業。
ドイツ駐在。陸軍大学校教官などを歴任後,28年中佐,関東軍参謀。
特異なキャラクターから異端児としても知られる。

石原q2
まぁ、内閣総理大臣(内相・陸相兼任)に上り詰め、
のちに外相、文相、商工相、軍需相も兼任した東條英機に向かって
いくら敵対していたとは言え、『東條上等兵』と呼んでいたそうなので
"異端児"なんだろう事は想像出来てはいましたけれどね(笑)。
こうしてお写真を拝見しますと、誰かに面影が似ているような…
どこかでお会いした事があるような…そんな気持ちになります。
彼がなしえた軍での業績…功罪とも言えるかもしれませんが、
そういう深い部分は他のネットの情報にお任せするとして……
それにしても本当に"特異なキャラクター"
という言葉がこれほどピッタリくるとは(苦笑)。
★石原は酒やタバコをたしなまなかった。将校団の宴会の席で連隊長から三度飲酒を強要された時に「飲まん」と大声で怒鳴りつけた。以後、連隊長に気に入られることはなかった。
★連隊長時代、二年兵が満期除隊を迎えるのを見送っていた。ある年、羽織袴姿で並ぶ満期兵を前にして、かつての中隊長が長々と訓示をしていると突然、にわか雨が降り出したが、中隊長は訓示を止めない。その時、石原は「中隊長のバカヤロー、紋付きは借り物であるぞ!」と怒鳴り、訓示を中止させた。
★東京裁判出張法廷では、判事に「歴史をどこまでさかのぼって戦争責任を問うか」を尋ね、「およそ日清・日露戦争までさかのぼる」との回答に対し、「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。もともと日本は鎖国していて、朝鮮も満州も不要であった。日本に略奪的な帝国主義を教えたのはアメリカ等の国だ」と持論を披露した。
★二・二六事件のとき、石原は東京警備司令部の一員でいた。そこに上官である荒木貞夫大将がやって来たとき、石原は「バカ!おまえみたいなバカな大将がいるからこんなことになるんだ」と怒鳴りつけた。荒木は「なにを無礼な!上官に向かってバカとは軍規上許せん!」とえらい剣幕になり、石原は「反乱が起こっていて、どこに軍規があるんだ?」とさらに言い返した。そこに居合わせた安井藤治東京警備参謀長がまぁまぁと間に入り、その場をなんとかおさめたという。

ここで少し話が逸れますが、
私と違ってミリタリーについてはあまり興味の無い主人に
『石原莞爾って知ってる?』と聞いてみたところ、
『うん、知ってるよ。昔読んだ漫画(ジパング)に出て来た。』と
意外な答えが返ってきたので驚いてしまいました(笑)。
そんな主人に今回、石原莞爾のWikipediaを読んでもらったら
『石原さん、よく殺されなかったね~
殺されてもおかしくない感じがする。』
と主人は言いながら苦笑いしていました。
私も同じ感想を持ちました。
上官に楯突く部分は勿論ですが、特に二・二六事件の際のエピソードは
今、読んでいる私もドキドキしますもの

とは言え…上記のエピソードだけでは
ただの変わり者となってしまいますが
この石原さん、天才的に頭が良かった方なんです。
★明治28年(1895年)、まだ小学生でなかった石原を姉が子守のため小学校に連れて行ったところ教室で暴れた。矢口校長が石原に試験をやらせてみると1年生では1番の成績であったため、1年間自宅で準備学習していたという名目で同年に2年生に編入することとなった。
★仙台幼年学校では総員51人中最高の成績であり、代数学・植物学・ドイツ語が特に高得点であり、3年間第二位を大きく引き離して一番の成績を維持した。
★第65連隊から一人も陸軍大学校に入学した者がおらず不名誉だとして、陸士成績が最優秀だった石原を受験させることが本人の意思とは関係なく決められた。石原はこれを断ったが、連隊長命令によって受験させられることになった。しかし石原は一日中部隊勤務に励んでおり、同僚はいつ勉強しているのかと不安に思っていた。石原はどうせ受からないのだから勉強は不要だとして試験期間に入ってからも一切勉強しなかった。5日間の試験期間中も試験の解答をさっさと提出して勉強せずに受験会場となった駐屯地の部隊の訓練を見学した。しかし連隊からは石原だけが合格した。
★陸大入試の口頭試問で「機関銃の有効な使用法」を聞かれ、「飛行機に装備して敵の縦隊を射撃する」と解答した。当時、機関銃を飛行機に装備する着想はまだなかった。
★陸大学生時代は成績は本来は首席であったが、何らかの都合で点数が変更されたため2位であった。これについては冬でも薄汚れた夏服を着用する石原を天皇の前で講演させることに抵抗があったという説や、石原の講演内容について大学の注文を石原が拒否したためという説、朝敵であった庄内藩出身であったためという説があり、明らかではない。


頭脳明晰で異端児…う~ん何とも不思議な方ですね。
アメリカの日本学者ピーティーは
『石原莞爾に匹敵するほど、私が心惹かれたテーマはなかった。
あたかも流星のように突然現れ、瞬く間に姿を消した…。』
と語っているとか。かく言うこの私もピーティー同様、
石原さんに興味を惹かれる1人という事になりますでしょうか。
その他、この石原さん、なかなかの愛妻家だったようで
海外赴任の際は毎日のように奥様に手紙を書き送っていたようです。
でも天才が故、石原さんが手紙に書く内容は、
難解かつ、彼が熱心な信者だったという日蓮宗への入会を
奥様に強く打診する内容だった為、
奥様はあまりお返事を出されなかったそう
奥様からのお返事がなかなか来ない事に寂しさを覚えたのか
拗ねて甘えるような内容の手紙を送ったという石原さん。
「昨夜は懐かしいテイちゃんの御手紙がとうとう来ないものですから、又例により昔の御手紙を繰り返して拝見しました」
「夢か現の間に、テイちゃんの御手紙が汽車に山と積まれて、南へ南へと走って来る有様を見て、非常な喜びに打たれました。何回も何回も事務室に足を運びました。いよいよ御手紙が来ないことを知った時の落胆…」

(テイちゃん=奥様の名)
いや~、私ならば、こんなお手紙をもらったら
素直に胸キュンになっちゃうかも~(笑)。
この様な石原さんの意外な一面を
詳しく知る事が出来る本があるようなので
近いうちに読んでみたいな~と思っています。
本1

軍人と妻と言えば…ずっと昔に作家の澤地久枝さんがお書きになった
【妻たちの二・二六事件】という本を読んだ事があります。
若い青年将校たちの決起で始まった二・二六事件…
彼らの若い妻たちは事件に対してどう思っていたのか、
そして事件後、どのような人生を歩んでいったのか…という内容でした。
青年将校と妻との絆が浮き彫りにされおり
事件の陰にあった悲劇と妻にしか見せなかった
彼らの素直な気持ちを垣間見る事が出来た本です。

なんて今回もとりとめもない記事になってしまいました~。
すみません





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