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戦地からのハガキと伯父との再会

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8月6日…今日は69年前に広島に原爆が投下された日ですね。
私の父には歳の離れた兄(私にとって伯父)が2人おりました。
1人はソロモン諸島のブーゲンビル島で戦病死。
そしてもう1人は広島の原爆で被爆…。
2人の兄を父は戦争で亡くしました。
広島で亡くなった伯父は職業軍人で、
原爆投下の一週間前に広島の部隊に転属になり被爆し亡くなりました。
28歳でした。
戦死公報には伯父が広島第一陸軍病院で亡くなった事と
「顔面・背中火傷」とも書かれていたそうです。
『兄貴にとって広島への転属は死出の旅だったんだな…』
と良く父が呟いていました。
原爆投下の瞬間の再現動画を見つけました。
お時間が許せばご覧下さい。
如何に強烈な衝撃だったかが伝わると思います。


ある日、本当に偶然に下のポスターを目にした私。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が、
原爆の犠牲になった方の遺影を求めて作られたポスターです。
私はこのポスターを見て、いてもたってもいられなくなり、
父に代わりすぐに"伯父の遺影"と
"『広島で被爆死』と書かれている戸籍抄本のコピー"を
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に送りました。
後日、確かに受け取りましたと連絡を頂いた時、
『あぁ…これで伯父が生きていた証が残る…』という想いで
何と言うか安堵の気持ちが湧き起こったのを覚えています。
ここ国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の遺影コーナーでは
大型ディスプレイ12台を使って、ご遺族から寄せられたご遺影と
お名前を順次映し出しているそうです。
私が送った伯父の遺影と名前も映し出されているはず……。
いつか…いえ、なるべく近い内に行ってみたいと思っています。
20130804151517350.jpg
伯父が広島の部隊に転属する前に
戦地から妹宛てに送った軍事郵便をご紹介します。
何せ69年以上前のものですから、万年筆で書かれている文字もかすれ
判読不明の部分もあります。
表に印刷されている女性は通称「でこちゃん」と呼ばれていた
女優の高峰秀子さんです。
あの当時のアイドルだったようです(笑)。
とっても可愛らしい方ですね~♪
201308041516051a8.jpg
ハガキには…

『雪江ちゃんその後お変り御座いませんか?
 お伺い致します。
 戦地の兄さんも元気で奮闘致しておりますので
 ご安心下さい。
 雪江ちゃん、内地で変わったニュースでも有りましたら
 お知らせください。兄さんは、故郷の便りを
 鶴の首のように長くして待っております。
 ご両親様にもくれぐれも四六四九(よろしく)お伝え下さい』


と書いてあり、残して来た家族を想う気持ちが伝わってきます。
「もう二度と悲しみしか残さない戦争をしてはならない」
という事を伯父がハガキに認めた家族への想いと、
両親の思い出話から教わったじゅんママです。


その後、こんな出来事がありました…。
ある知人に、広島の原爆で被爆死した伯父の話をした事があるんですが、
その知人が、たまたま広島に旅行に行かれる事になり、
様々な観光地をまわられた中で、
【広島原爆死没者追悼平和祈念館】にも足を運ばれたそうです。

私が話した広島で被爆死した伯父の事を
心に留めておいて下さったようで、
祈念館の【遺影コーナー 】で私の伯父を探し、
写真を撮って来て下さったんです
その方が『伯父さん撮って来たよ!』と言いながら写真を見せて下さった瞬間、
感無量になってしまい涙ぐんでしまいました。
それはまぎれもなく数年前、
私が広島原爆死没者追悼平和祈念館に送った伯父の写真でした。
伯父との再会……そして確かに
広島原爆死没者追悼平和祈念館の遺影コーナーに
伯父の写真や名前が映し出されているという事実に
『あぁ…良かった』と心から安堵しました。
私の話を心に留め、伯父の写真を撮って来て下さった温かい温情に
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです
本当に本当にありがとうございました
これからも命ある限り平和を祈っていきます。
20100916144659727.jpg



被爆死した女の子の歌・元ちとせさんが歌う【死んだ女の子】です。
お時間が許せばどうぞご覧下さい。







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