スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

陸上爆撃機『銀河』♪

陸上爆撃機『銀河』……
銀河@1

1トン爆弾を搭載して、急降下爆撃が出来る海軍初の双発陸上爆撃機。
軽く攻撃を受けただけですぐに火がつく事から『ワンショットライター』
とも呼ばれていたようです。
それに、エンジンに難があったりと、稼働率は低かったと言われています。
しかし美しいデザインの戦闘機です。
銀河をデザイン設計した技術者は後に
新幹線「0系」のデザイン設計にも携わっています。
丸みを帯びた美しいフォルム……銀河と新幹線の意外な共通点ですね。

それで…この銀河ですが、私の故郷の鹿児島県出水市に
深い関わりがあった戦闘機なんです。
出水には戦争中、出水海軍航空隊という基地がありました。
その基地に『銀河特別攻撃隊』が設置され、
出水基地には大型戦闘機の銀河の姿が見受けられていたんです。
終戦時13歳だった父がいつも口にしていた『一式陸攻』『雷電』そしてこの『銀河』…。
零戦と比べたら巨体で双発…そして最新の戦闘機らしいという事で、
少年だった父達には大人気だったようです。
父に触発され(笑)、色々と戦争中の出水基地の事を調べて行くうちに
ある方から銀河の『飛行機機体来歴簿』のコピーを頂きました。
PA040034n.jpg

まぁ…車の車検証みたいなものですね♪。
PA040030n.jpg

ある方がなぜ私にこのコピーを下さったかと言いますと、
この来歴簿に『出水』の文字があったからなんです。
分かりますでしょうか…【大分~出水】と【出水~沖縄】の文字。
飛行時数@2


アップにしてみますと…読めるでしょうか…。
PA040036.jpg
戦争末期、サイパン島からB29による本土爆撃が本格化し、
敵機動部隊も沖縄や九州近海に出没し始め、遂に出水にも敵機が来襲しました。
米機動部隊から発進したグラマン数機は、大口方面から低空で急襲し、
飛行場に銃爆撃を浴びせるようになり、これを迎え撃つために、
来襲した敵機動部隊を求めて『銀河特別攻撃隊』が
次々と出撃して行きました。
その後、米軍は遂に沖縄への上陸を開始しました。
わが陸海航空部隊は、決死の総攻撃を開始し、
出水からも特攻機が帰らぬ旅に飛び立って行きました。

【出水~沖縄】の文字がとてつもなく悲しく感じられて…。
涙が出てしまいます。

父から出水基地からの特攻出撃の事は幾度も聞いていた私でしたが、
この来歴簿を見て改めて現実味が押し寄せました。
そんな銀河の特攻出撃を見送った少年だった父…。
『あの特攻隊のお兄さん達はみんな良い人ばかりだった。
あのお兄さん達が、もう帰っては来ないだろうと言う事は
子供心にも分かっていた。だから見送りは切なかった事を覚えている。
もう二度と戦争をしちゃいかん。その為にも
戦争で死んで行った若者の事を忘れてはだめだ。』

と父は申しておりました。

『未来の鍵は過去にある…』私の好きな言葉です。

スポンサーサイト

Comments - 6

vivio660ems

父が乗ってました

亡くなった父が終戦まで銀河に乗っていました。当時は最新鋭機で、他の機種の搭乗員の羨望の的だったそうです。実際スマートな機体と戦闘機並みの速度で、自動操縦装置などの装備も正確で申し分無かったそうです。よく言われるエンジンなどの不調も個体差があったようで、父が乗った機体はどれも問題なかったそうです。ただ、整備員はエンジンの調整に手こずって、他の機種よりも扱いづらかったようで、整備に苦労されていたのは事実のようです。出撃中に米軍の戦闘機の攻撃を受け、血だらけで帰還したり、燃料タンクに機銃による穴が開き、運良く爆発しなかったものの、燃料が漏れたままぎりぎりのところで基地に戻れたこともあったそうです。当時過酷な戦闘の中、生き延びて帰還できたのは銀河のおかげと言っていたのを思い出します。

2013-02-09 (Sat) 09:40 | EDIT | REPLY |   

じゅんママ

ありがとうございます♪

vivio660emsさ~ん♪コメントありがとうです

> 亡くなった父が終戦まで銀河に乗っていました。
そうだったんですか。
銀河自体、大量生産されていませんので
お父様の様な銀河搭乗員の方は
非常に珍しい存在なのではないでしょうか。

> 当時は最新鋭機で、他の機種の搭乗員の羨望の的だったそうです。
> 実際スマートな機体と戦闘機並みの速度で、
> 自動操縦装置などの装備も正確で申し分無かったそうです。

大きな機体に美しいボディの銀河…。
その様な長所があったんですね~。
初めて知りました。

> よく言われるエンジンなどの不調も個体差があったようで、
> 父が乗った機体はどれも問題なかったそうです。
> ただ、整備員はエンジンの調整に手こずって、
> 他の機種よりも扱いづらかったようで、
> 整備に苦労されていたのは事実のようです。

最新鋭で高性能な機体だけに、整備員の方々も
色々と難しい面があったのかもしれませんね……。

> 出撃中に米軍の戦闘機の攻撃を受け、血だらけで帰還したり、
> 燃料タンクに機銃による穴が開き、運良く爆発しなかったものの、
> 燃料が漏れたままぎりぎりのところで
> 基地に戻れたこともあったそうです。
> 当時過酷な戦闘の中、生き延びて帰還できたのは
> 銀河のおかげと言っていたのを思い出します。

そうだったんですね。
お父様、ご無事で本当に良かったですね。
大変貴重なお話、ありがとうございましたe-466

2013-02-09 (Sat) 12:40 | EDIT | REPLY |   

vivio660ems

コメントへの御返信有難うございました

コメントへの御返信有難うございました。出水のお生まれなんですね。父も一時出水の航空隊にいたそうです。当時、鹿屋、木更津、霞ヶ浦、台南、上海、デゴス、クラークフィールド等々、終戦まで各基地を転々としていたそうです。こちらは熊本ですので鹿児島までは近いのですが、とうとう亡くなるまで鹿屋にも出水にも行こうとはしませんでした。きっと亡くなった隊員のことを思い出すので、敢えて行かなかったのだと思います。死ぬも地獄、生きるも地獄という言葉がありますが、父の兄弟や従兄弟たちも当時の陸海軍の士官学校や兵学校に進んだ軍人が多く、運良く生きながらえたものの、戦後は公職追放や戦犯ということで、残りの人生は生ける屍のようだったと思います。しかし、そうしたことに対して不平や不満を言うわけではなく、当時の人たちには確固とした「覚悟」があり、どういう境遇になろとも運命を受け入れるという潔さがあったのだと思います。現在は戦争はありませんが、日々生きていく中でも、そうした覚悟や潔さはやはり必要なのだと思い知らされることがあります。

2013-02-11 (Mon) 09:58 | EDIT | REPLY |   

じゅんママ

ありがとうです♪

vivio660emsさ~ん♪コメントありがとうです

> コメントへの御返信有難うございました。
いえいえ~
拙いお返事で申し訳なく思っておりますv-410v-356

> 出水のお生まれなんですね。
はいぃ~♪出水生まれです。

> 父も一時出水の航空隊にいたそうです。
> 当時、鹿屋、木更津、霞ヶ浦、台南、上海、
> デゴス、クラークフィールド等々、
> 終戦まで各基地を転々としていたそうです。

そうですか…お父様も出水基地にいらっしゃったんですね。
作家の森本忠夫さんの著書【特攻】の中に
出水基地の銀河隊に所属されていた
鈴木勘次さんの事が書かれてあり、
とても興味深く読んだ事を思い出しました。
鈴木さんは出水から銀河で出撃されましたが、
九死に一生を得て生還なさっています。
鈴木さんのお陰で、出水基地・銀河隊の様子を
知る事が出来、感慨深く思いました。

> こちらは熊本ですので鹿児島までは近いのですが、
> とうとう亡くなるまで鹿屋にも出水にも
> 行こうとはしませんでした。
> きっと亡くなった隊員のことを思い出すので、
> 敢えて行かなかったのだと思います。

そうなんですね…。
私の母方の伯父は海軍軍人で、
何とか生きて帰って来る事が出来ましたが
やはり自分の戦争体験は語ろうとはしませんでした。
『身近に仲間の死を見過ぎた…』との伯父の言葉…。
同じく、辛い経験を思い出したくなかったんだと思います。

> 死ぬも地獄、生きるも地獄という言葉がありますが、
> 父の兄弟や従兄弟たちも当時の陸海軍の士官学校や
> 兵学校に進んだ軍人が多く、運良く生きながらえたものの、
> 戦後は公職追放や戦犯ということで、残りの人生は
> 生ける屍のようだったと思います。
> しかし、そうしたことに対して不平や不満を言うわけではなく、
> 当時の人たちには確固とした「覚悟」があり、
> どういう境遇になろとも運命を受け入れるという
> 潔さがあったのだと思います。

あの頃懸命に生きて来られた方々というのは、
ある意味時代に翻弄されてしまった部分もありますよね…。
戦中&戦後では価値観もガラリと変わってしまいましたし。
しかし、それら全てを潔く受け止め粛々と生きる……
そんな気概がおありになったような気が私も致します。

> 現在は戦争はありませんが、日々生きていく中でも、
> そうした覚悟や潔さはやはり
> 必要なのだと思い知らされることがあります。

はい…そうですね。
vivio660emsさんの仰る通りだと思います。

2013-02-11 (Mon) 14:38 | EDIT | REPLY |   

vivio660ems

何度も投稿してすいません

お久しぶりです。コメントへのご返事有難うございました。
父の乗っていた銀河は、初期型から中期、後期型と終戦まで何度も細かい変更があったそうです(知っている人は知っていると思います)。
風防の左右が曲面から平面になったり、エンジンが誉から火星に変わったり、後輪が収納式から固定式になったりと、現在の車でいえばマイナーチェンジが何度か行われたそうです。
父は、曲面式の風防で誉エンジンを積んだ初期型(11型)が一番好きだったそうです。エンジンの形が機体のデザインに合っており、1基が約2000馬力、それを2基搭載しているので安心して飛べたそうです。
主翼下の左右の車輪は、1つのレバーを上下に動かすだけで出し入れが可能で、当時はハンドルをくるくる回すワイヤー式がほとんどだったそうですが、現在の飛行機と全く同じ方式だったそうです。前回もお話した自動操縦装置も、ボタン1つで速度、高度、フラップ角度が指定どおりに固定され全く狂いも無く、現在の飛行機と同様で、当時如何に技術を結集して作られた飛行機であったか想像できます。
余談ですが、父の直属の上官は、特攻の生みの親と言われる大西瀧次郎中将だったそうで、よく血も涙も無い悪の権化のような言われ方をされていますが、当時近くにいて直接言動を聞いていた限りでは、特攻で出撃する際には、「君たちには大変な思いをさせて申し訳ない。戦況が落ち着いたら、自分も必ず君たちの所へ行くから(自害して会いに行く)。」と言い、離陸後も飛行機が見えなくなるまで泣きながら見送っていたそうです。
また、「エンジンの故障や、敵が見つからない時は無理せず引き返し、必ず生きて戻って来るように。無駄死には決してしないように。」と繰り返し言っていたそうです。
実際、通常攻撃や特攻で出撃し、無事に攻撃から戻ったり、特攻機が故障などで戻って来た時は、真っ先に指揮所から飛び出し、滑走路まで出迎えに来ていたそうです。
終戦後、大西中将は切腹し、楽に死なないよう介錯もさせず、何時間も苦しみながら亡くなったそうですが、父は、「中将は戦後悪く言われるが、当時近くにいて見聞きした実像は全く違うし、自分で言ったことをきちんと守った(自害した)数少ない上官のひとり。」と言っていたのが印象的です。
当時大西中将に嫌な目に遭わされた人や、特攻で家族を失った人などの恨み辛みのほうが大きく、悪人のレッテルを貼られて当然という風潮があったのかもしれませんね。
ところで、このブログに何度も投稿してすいません。父から聞いた銀河に纏わる話をいろいろと思い出し、ついつい書き込んでしまいました。

2013-03-19 (Tue) 21:39 | EDIT | REPLY |   

じゅんママ

ありがとうです♪

vivio660emsさ~ん♪コメントありがとうです

お父様がとても銀河を愛してらっしゃった事が
vivio660emsさんの文章から伝わって来ます。
そして銀河が軍と技術者が総力をあげて作り上げた
最新鋭の戦闘機だったのだなぁ…と改めて感じました。

大西瀧次郎中将のエピソードも大変興味深く読ませて頂きました。
特攻作戦については、大西中将よりも黒島亀人がキーマンのように思います。
なかなかダークな人物だったようですね…。
確かに近年、様々な歴史上の人物が色んな意味で
再評価され始めていますね。
今まであまり一般に知られていなかった"最後の海軍大将"『井上成美』という人物…。
日本人に対して露骨な侮蔑と嫌悪感を示している部分が省かれ出版された日本語訳ヒトラー著『我が闘争』の英語版を読み、ヒトラーが日本人蔑視を公言していると知り、三国同盟に強く反対したというエピソードなども含め、"あの戦時下にこんな考えを持った軍人がいたのか"と、とても興味深いです。

> ところで、このブログに何度も投稿してすいません。
> 父から聞いた銀河に纏わる話をいろいろと思い出し、
> ついつい書き込んでしまいました。

いえいえどうかお気になさらず♪。
ただ前回も書きましたが、拙いお返事しか出来ません事を
大変申し訳なく思います。

2013-03-20 (Wed) 03:04 | EDIT | REPLY |   

Leave a reply

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。