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それはミズーリ号から始まった…三布告(1)

Category歴史
ハードディスクに録画されていた番組…BS歴史館をやっと観た私。
去年放送された再放送らしいのですが、私はこの回は初見です。
タイトルは【それはミズーリ号から始まった(日本の運命を分けた2日間)】。

1945年9月2日こそが日本が降伏し戦争が終わった日…。
時の外務大臣『重光葵』は敗戦国全権として降伏文書に署名しました。
戦争が正式に終わり、世界中に平和がもたらされた日9月2日…
しかし日本はその日国家存亡の危機に直面した事をご存知でしょうか。
実は降伏調印直後、連合国軍総司令部GHQが
衝撃の占領政策を伝えていたのです。
それは英語を公用語にする…通貨は占領軍が発行するというものでした。
GHQはこの占領政策を降伏調印の翌日からただちに交付すると告げて来ました。
つまり9月2日は日本の運命を分ける日となったのです。
平和が来たと思われたその水面下で、忍び寄る日本の危機…。
その危機はいかにして回避されたのか…。
日本の主権をそして未来を守ろうとした人達の戦いに迫る…という番組。

私達はどうしても終戦記念日の8月15日に思い入れがありますよね。
映像でも皇居周辺で頭を垂れ、天皇のお言葉を聴くシーンが良く流れます。
あまり9月2日の事(日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書に調印した日)は今までもテレビ番組でも取り上げられずに来ました。
重光さん自身は9月2日の事を
『日本及び日本人が生まれ変わる日だ。
不名誉の終着点ではなく、再生の出発点である。』と調印に挑まれたそうです。

降伏文書調印式に挑んだ降伏調印全権団…
日本代表の11人はこの戦争を正式に終わらせる使命を帯びていたのです。
そこで11人を待ち構えていたのは、アメリカ人の好奇の眼差しでした。
降伏文書調印式 d

全権団の1人だった加瀬俊一は
『私はその時、人間の視線とは本当に痛烈に
痛みを与えるものだという事を知りました。
皮膚を貫き、肉を裂き、骨を刺す…何千本何万本の矢が
我々の上に集中して骨を砕かんばかりで、本当に痛かったです。』

と後に述べています。
そしてミズーリ号での降伏調印式の映像には、重さ10kgにもなる義足を引き吊りながらミズーリ号の船内を歩く重光の姿が……。
『やりたくない役目…だけれど誰かがやらなければ』そんな気持ちを抱えながらも挑まれたんだろうなぁ…と思うと涙が溢れて来ました。
9月2日、午前9時25分降伏文書調印式終了。
それからわずか六時間半後、日本の国を根底から揺るがすGHQの占領政策が告げられたのです。
GHQの提示した占領政策…通称『三布告』。
そこにはGHQが思い描く日本占領の形が…。
布告第一号『英語を公用語とする』
布告第二号『占領軍裁判所を設置、司法権はGHQとする』
布告第三号『占領軍が発行する軍用紙幣B円を日本通貨とする』
日本語や日本円が奪われる…GHQによる直接支配の通告でした。

≪(2)へつづく…≫








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